何のために投資をするのか?


投資家たるもの一生懸命に相場を張るわけで・・・。

損をすることもあれば、何回かに一回は、利益を頂戴することもある。相場の世界はゼロサムゲーム。見えない向こうのどこかの誰かの負け分を、こっちでは利益としていただくことになる。

と考えると・・・、


負けてくれる人がいつも市場にいるから、自分は儲けさせてもらえるわけであって、「向こうのどこかの誰か」は、自分にとって何ともありがたい存在だと時々思うわけです。


そもそも自らの資金を兵隊として相場という世界で戦いを挑み、見えないとはいえ、人様の負け分をいただく商売をやっているのであって、そんな形で得たお金に何の意味があるのだろうか?


そんな風に考えたことは、投資を長く経験していれば一度や二度は思うんじゃないでしょうか。


確かに人様のお金を頂戴するといえば聞こえは良くないわけですが、私達の住む日本は疑いようもなく資本主義社会なんですよね。資本主義社会なんですから、お金が無ければ何をするのにも困ってしまいます。ですからお金を得るということは、ずばり言ってしまえば、「お金から解放される」ということになるわけです。





多くの人は、『 お金 』のために好きでもない仕事を選び働きます。お金がなければ生活できませんし、生きていくことさえままならなくなる。今の日本は格差社会といわれていますが、どんなに懸命に働いたとしても、サラリーマンであれば、得られるお金は知れたもの。その上所詮は使われの身。リストラ勧告におびえ、取引先から怒られてもじっと辛抱する。

「がまんならん。辞めてやれ!」と思っても、年齢を重ねるごとに他の業界ではますます潰しがきかなくなっていく自分に気付き、一層保守的になっていく。たまの休日は家族サービスで一日潰し、ドライブに出かけると高速道路は大渋滞。パーキングエリアに入ることもできず、トイレにさえ困ってしまうありさま。

いろんな不自由を我慢した上、多額の借金を抱えてでも、やっと一軒家を構えられれば、それはそれで幸せな日本人として満足しなければならない。良い学校に進み、良い企業に入って定年まで働くこと。これこそが日本人のスタンダードだと考えられていたのは、つい最近までのことです。

結局、会社の歯車の一つとして自分の人生を捧げた上、歯車が故障でもしようものなら、すぐに取り換えられてしまう。会社に忠誠を尽くし、そういう人生を謳歌する人もいるわけで、それはそれでその人の人生であり生き様なのだから私がとやかく言うことではありませんが、私はそれでは満足できなかった。

たかがお金のために、本当に大事なものを犠牲にしている事を、みんな口にしないだけで心の底ではそう感じているんじゃないのかと・・・、私はそう思うわけです。

金が無い

お金がなければ、いろんな方面で不自由を強いられます。私が子供のころ、母親にいつも言われていたことがあります。それが、「金がない」という言葉。

何か欲しいものがあって、ねだろうものなら「そんなお金、どこにあるの!」と一蹴される。裕福な家庭ではなかったといっても、格段に困った家庭でもありませんでした。普通のサラリーマン家庭でしたが、何かと”ど”ストレートに「お金がない」といわれるので、まぁ我が親ながらあまり好きじゃなかったですね。


そんなことから私は、アルバイトをしながら塾に通ったり、学費の安さから国立の高校を選んだり、奨学金で学費を払ったりと、家にお金の負担を掛けないように気遣う学生生活を送っていました。

それから、某大学の建築課を卒業の後、ハウスメーカーに就職。一部上場企業でしたから給料もいいですし、なに不自由することもなく暮らしていける。


ハウスメーカーなので、会社の本業は家を建てること。90年代、バブル崩壊の煽りを受けて受注も激減。そんな時、家を建てるお客さんがいないのなら、社員や取引先に建てさせればいいじゃないかとなるのは、必然的な流れとなるわけです。

下請けや取引先に家を建てることを強要し、元請けの要求に応じる業者が「いい」業者であって、仕事の良し悪しでは「いい」「悪い」は決まらないんです。

仕事が激減しているかなでも、自ら家を建てた「いい」業者には優先して仕事が回ることになるわけで、そうなると取引先も無理を承知で家を建てなければ仕事が回ってこない。仕事のためにと自ら家を建て、借金が増えることで、ますますどんなに安い仕事でも請けなければならない。安い仕事だから、赤字が続き「仕事が悪い」「仕事が遅い」と取引は打ち切られる。取引できないと借金を払えないので、元請け側に気に入ってもらえるように、今度は必要でもない会社の事務所を新築をすることに・・・。
と、


完全に負のスパイラルが回り始めることになるわけです。

で、支払いに困った取引先はどうするか?





倒産して、全てを失う・・・。

白旗を上げて降参すればやり直しはいくらでもきくのに、建築業界の下請けは職人気質の人が多いですから、お金に関してはルーズ。おまけにプライドは人一倍高い。支払いに困ったときに、自らの命を絶ち保険金で支払ったという社長さんを3人と、そして、あまりの理不尽さに腹を立てピストルを持って事務所に怒鳴りこんできた下請けの社長が一人。


そんなことを目の当たりに見てきました。


私はまずまずの給料を貰っていたこともあって、20代のうちに家を持つことができました。持つことができたというよりは、「無理やり持たされた」的な感じもしないではないですが、その当時、社内にはジンクス的なことがささやかれていて、「家を建てたものは3年で転勤命令が出る。そして、今の家は借家として貸し出して、家賃収入でローンを支払うことにして、転勤先でまた家を建てさせられる」と。

「何のために、一部上場会社の金看板を背負わせて、たくさん給料を払ってると思ってるんだ。いくらでも金を借りられるようにってことだろ、そのぐらいのこと、気付けよ」

とは、私が家を建てて3年目、転勤辞令を貰った時に業務本部長からでた言葉。

会社の言うことを素直に聞ける人間が評価されるという、これは、使う側からすると当たり前のことかもしれませんが、企業にはこうした風潮がどこにでもあるもんです。
私は、当時からこういう風潮に疑問を感じていました。

誰のために頑張るのか?何のために頑張るのか?

会社の売り上げ目標という数字のために、社員も、取引先も、関係者が皆ふらふらになって頑張っても、結局は自分のためにも、会社のためにもならないのではないだろうか。

転勤辞令を出した本部長とて同じことです。一部上場企業とはいえ、社長でも雇われですから使われの身という立場では同じことです。皆、会社から給料を貰っているわけです。

もし、自分に何かがあっても、会社は助けてくれることはありません。会社側の理不尽な要求にこたえられなくなった時は、組織から去るしかない。40歳も50歳にもなって、組織から去らなければならなくなった時、自分はいったい何ができるんだろう。そんなことは、新入社員の時から常に感じていました。


どうして、皆がお互いの足を引っ張りあうのだろうか。
なぜ、定休日とされる日に仕事がなくても会社に顔を出すのだろうか?なぜ、有給があっても堂々と取ることができないのだろうか?なぜ、社員同士お互いに気持ちよく働ける環境を作ろうとはしないのだろうか?
そうしてある時、私は気が付きました。
「お客さんのためとか、社員のためとか崇高なスローガンを掲げても、結局のところ一番大事なのは、給料を払ってくれる会社なんだ」と。
表向きには顧客第一などと建前を前面に出すものの、会社に忠義を尽くすことこそが最も大事なことであって、会社のために頑張ろうと忠誠心の高い社員を育成しようとしているということなんです。

紛れもない資本主義の世の中

欧米では、遊ぶために一生懸命に働くといいます。勤勉でまじめな日本人の精神とは真逆のライフスタイルです。欧米が正しくて、日本が間違っているとまではいいませんが、何かが違っていると感じるサラリーマン時代でした。転勤命令とともに、私は退職したわけですが、これが紛れもない資本主義社会なんだと気付かされたわけです。

産業革命時代から、資本家は労働者を活かさず殺さず酷使し、うまい汁はすべて資本家が搾取するという図式は今でも変わることがありません。社会構造の根底にはこのような風潮が流れているということです。

お金がないというただそれだけで、懸命に生きているのに人格まで否定されかねない。
こう考えていくと、自ら命を絶つ人が減らないのも、理解できるような気がします。経済苦だけが原因ではないことを知っていますが、お金がそこそこあれば辛い選択をしなくて済んだ人はたくさんいるはずです。


年間2万人なんですよね。

日本のどこかで一日に55人の人が、辛い選択をする。時間に換算すれば、27分に一人が日本のどこかで亡くなっています。自ら命を絶つということ。

今この瞬間にも、その決断を下そうかどうしようかと悩んでいる人は、たくさんいます。なにしろ27分に一人が辛い決断をしているわけですから。

そう思えないのは、ただ単に、私たちの身の回りにいないから気付かないだけの話し。
お金があれば、他に選択肢があったかもしれないのに。
お金があれば、命を粗末にしなくて済んだかもしれないのに。


世の中、お金がすべてじゃないとはいいますが、お金はかなりの部分で重要です。


幸か不幸か日本は紛れもない資本主義の世の中なんです。だから、お金が足らない人が出てくる反面、莫大な富を築く人もいる。


だったら・・・、

身を粉にして会社に忠誠をつくすのも悪くありませんが、資本主義のシステムをフルに活用してお金を手繰り寄せる方法もまた、正当な手段として全員に平等に認められているわけで。

自分のお金を兵隊として市場に送り出し、戦場で勝利をあげる。


「あんたは、大将なんだから」とは、元自民党谷垣さんの名言ですが、大将自らが戦ってボロボロになるよりも、お金という兵隊に働かせることができるのが資本主義社会。

大将自らがまず、お金の不自由から解放されること。そして、得たお金を独り占めして仕舞いこむのではなく、本当にお金の必要なところへ、見返りなど期待しないお金を供給していくこと


自己満足の領域かもしれませんが、そういうお金の使い方こそ活きたお金の使い方なんじゃないかと思うわけです。

ですから、私はサラリーマンを辞めた後、お金に携わる仕事を始めました。FPの資格を取得し2000名を超える方々のお金の相談に応じてきました。自ら相場でお金を得るべく投資にも挑戦しましたが、ご想像の通り”しこたま”やられた経験もしてきました。本業の関係から、相場を真剣に学んでいる人なら誰でも知っている相場師の師匠にであうことができ、相場のイロハを学び偉そうに言える立場にはありませんが、今の私があります。


私は、子供のころやサラリーマン時代のような経験はしたくありません。


「そんなお金、どこにあるの!」と言われたときには、「お金なら、ここにあるよ」と言えること。

資本主義社会をフルに活用すること。もっといえば、「すべてのお金の呪縛から解放されること」

これが何の為に投資するのかという、私の考え方。